9・時計の針



今は昔。

おれには心に遺る・・・・・・思い出深い先輩がいた。



どんな先輩か。












ものぐさという言葉だけではそのひとをかたるには言葉が

足りない。

しかし敏捷であったかというとかなりの度合いでそうでは

なかった。

怠惰でもあったが一面ではどんな人間よりも責務を全うすべく

生きた。

口調は温厚だったが舌鋒は鋭かった。

ごく身内の中では特に。

おおむね温厚な性質の安定した人物であったがどこまでも見据える

醒めた眸を覚えている・・・・・・。





一言でかたるには難しい人物だった。


ヤン・ウェンリー。



「見つからない自信があったんだがなあ」

国防士官学校学生時代おれは門限やぶりの常習犯で。

見張りの先輩に捕まったことは一度もない。



しかし、見のがしてもらったことはある。









それがヤン・ウェンリーだった。




「見のがしてやったんだからそういつまでも文句を

いうもんじゃないよ。アッテンボロー」

大人びているのか子供じみているのかわからないひと。


「まあ。そんなんですけれどね」

ドジを踏んだ自分とそんなことはどうでもいいという先輩。

不思議に波長があった。



随分かわいがってもらったから、間違いなく波長があったん

だろう。







イースタン(E式)の血筋の持ち主で髪も黒けりゃ目も黒い。

E式はだいたいが年令不祥なのでおれと先輩が並んでも

同い年かおれの方が年上に見えたかも知れない。






今現在、おれの嫁さんが同じE式でヤン先輩と同級生だった

らしい。嫁さんは下手をすると20代で通りかねない。実際の

年令は・・・・・・。
















・・・・・・やめておこう。おれの女房は淑女(レディ)だ。

淑女の年令をうんぬんいうのはそれこそ野暮の骨頂。




先輩は孤児だった。

母上は赤んぼうの先輩を残して夭逝され15まで育ててくれた

父上は船の原子炉の暴走で亡くなっていると聞いた。

だから寮以外は帰る家がなかった。

我が家はうってかわってみな強運の持ち主なのか健在だ。

何度か夏期休暇中やニューイヤーをアッテンボロー家に

招待したことがある。







うちの父親は酒を酌み交わす相手が増えたと大喜びするし

・・・・・・未成年だったんだがなと思わないでもないがまあいい。

母親は娘が三人でおれ一人が男なものだからヤン先輩を

おれの兄貴に見立てる始末。



姉三人のうちひとりがこっそり先輩に思いを寄せていたらしい。

でも野暮天で通っていた先輩にはそんなことがわかるわけ

はない。

そのうち姉は他の男を見つけたし、結果としてそれでよかった

と思う。







「すいません。いつもいつも御厄介になって」

「遠慮しないでここがあなたの二番目のうちだと思ってちょうだい。

さあもっとたんと食べて頂戴ね。キドニーパイはいかがかしら。

キッシュはきらい?野菜もたんと食べてね。ここら辺は田舎だから

野菜も甘くておいしいのよ。ヤンさん。ダスティもよ。あなたさっき

から肉料理にしか手をつけないでいるでしょう。サラダをおとりな

さいな」




母親は元から明るいひとだが来客があるとさらに元気が出る。

我が家は困るくらいひとをもてなすのが好きな家庭だった。






要するに家族はヤン先輩が大好きだった。

新年のカウントダウンに打ち上げられる花火にも家族の一員

として先輩はみなされていたので寒い中を夜遅くまでつきあわ

せたものだ。




ふだんは寒がりで冬の演習なんかで凍え死にしそうになった

くらいの先輩もうちの家族と一緒に花火があがる度に


「やぁ」だの「わぁ」だの楽し気に声をあげていた。






「楽しいですか。先輩。うちの家族のえじきにされちゃって。

すいません」




あのひとは優しいほほえみでこういうのだった。

「なにをいうんだ。アッテンボロー。とても楽しいに決まって

いるじゃないか。お前さんは幸せものだよ」













そう、おれは幸せものだったのだ。

「多くの家族がいて・・・・・・にぎやかで。愉快じゃないか。

アッテンボロー。私は招待されていつも喜んでいるんだよ。

なんといってもミセス・アッテンボローは料理がうまい」




アッテンボロー家の家訓のその一に

『男はうまい料理を作る女と結婚せよ』とある。

我が家の暴君である親父が決めたことだ。




おれも一応それに習ったようで・・・・・・嫁さんの作る料理が

おれには一番うまい。であったときに恋をしたけれど

彼女の料理を口にしたときああ、彼女にはかなわないと

観念した。
















今はもうあのひとはいないが・・・・・・あのひとの残したあたたかさや、

やさしさは今でも彼の友人たちの胸に残っているだろうと思う。

おれの心に遺っているように。







時計の針は戻らないけれど

愛しい思い出は消えない。



by りょう

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