2・フレグランス



ミキ・マクレインの 誕生日。

12月31日と聞いていた。

でもその前にこの間のお礼をしなければいけないな。たくさん食べてたくさん飲んだ。

初めて出会った女性の家で。彼女は美しい微笑を持つひとだった・・・・・・。



初めてであったのはご主人がなくなったあとすぐ。

自分の「優雅なる女性履歴」を誇る上官が「ただめしとただ酒がいるなら。」と女医を

紹介してくれた。ただ飯はありがたいけれど見ず知らずの女性にご馳走になるのはいいのだろうかと

青年は花束を用意していった。



「何でうちに来るのよ。薔薇の騎士連隊は。うちは士官クラブじゃないのよ。で酒を飲んでかえって

いくでしょ。うちは病院。全員予防接種でもしましょうか。」

「まあ。そういうな。おれとお前さんの付き合いだ。」

「ひとが誤解するような物言いはやめなさい。フォン・シェーンコップ。」

と陸戦での勇士でもあり頭脳明晰でもある上官の足を加減なく蹴り上げた。

華奢で小柄な、女医。



女性との恋には聡い彼の上官でさえ女医には手出ししていないとか。・・・・・・ありえないくらい美しい

女性でふるまう手料理も最高で。肩先までの黒髪と黒い大きな眸が心に残る。



青年は淡い恋心をいだいた。





ここに1人の青年がイゼルローン要塞のデパートの中で所在無く落ち着かない心持でいる。



初めて贈るプレゼントだから気の利いたものを贈ろう。

彼はそう思って勇んでやってきたのが化粧品売り場。



自分の上官などは戦闘だけでなく色事にかけても百戦錬磨でまさに強者。

その歴戦の勇者殿に部下である青年は尋ねる。

どんなものを女性はプレゼントされれば喜ぶのか。

強者の色事師は言ってのけた。






「お前さんが恋をしたのはあの女か。よりによってJ・マクレインの未亡人にね。」




青年はしどろもどろに言った。



「こ、恋といいましてもこの間のお礼です。私は初対面で散々飲み食いもさせていただきましたし

お礼のひとつでもしなければ・・・・・・。」

「・・・・・・お前のような男なら女医も嫌いではないだろうな。おまえさんはいい男だよ。おれのような

やくざな男とは違う。」




ライナー・ブルームハルトは切ない恋慕を彼女にいだいてしまった。

過日主人をなくしたばかりなのに。





ブルームハルトは「恋とは結婚へ続く道」であるべきだと若い理想をいだいている。23の今まだまだ給料が

安い。まだ自分では結婚は無理だろう。だから好きな女性以外とベッドをともにする気持ちはこの青年には

ない。

ただ第七次イゼルローン攻略作戦前にハイネセンで彼女を紹介され手料理を出されたりシェーンコップすら

相手にしない彼女の「清廉さとやさしさ」にひかれていることは事実。



ジョン・マクレインが生きていれば。彼女の夫がこの世の人ならば何もこんな思いをいだかなかった。





けれどミキ・マクレインは今独身になっている。

未亡人になってしまった。



「ブルームハルト。あいつが使っている香水は、『rosa rossa』だ。香水売り場で店員に言えば出してくれる。」

「『rosa rossa?』・・・・・・?」

「昔のイタリアという国の言葉で赤い薔薇のことを言うらしい。自分が使っている香水ならもらっても

困らんだろう。実際あいつは赤い薔薇の花が好きだ。お前が持っていった薔薇だ。」




さすがによくご存知で。でもミキ・マクレインとワルター・フォン・シェーンコップとの間には「友誼」が

存在するだけなのを青年は知っている。不思議ではあるけれど上官殿はあの女医を「恐い」としか

いわない。あんなに優しいひとであんなにかわいいひとなのに。ブルームハルトは不思議だが

少しうれしい気がした。年齢差があるけれど気にしない。彼女は年下の自分が見ても、かわいい。





そういう経緯で彼はくだんの香水を女性店員に少々からかわれながら購入した。

間に合うように今からハイネセンへ送ろう・・・・・・。初めて女性に贈り物をする。

花束を渡したとき・・・・・・。

「ありがとう。あなたって紳士なのね。」と微笑んだ彼女・・・・・・。










宇宙歴799年。

ライナー・ブルームハルト中尉は荷造りをした。

ヤン・ウェンリーはヴァーミリオン会戦において王手を詰めなかった。カスパー・リンツ大佐は

「シャーウッドの森」なるダヤン・ハーン基地へ行ったが自分は薔薇の騎士連隊の中核に現在いる。

この要塞を攻略して。あれからハイネセンへいったのは救国軍事会議の鎮圧だけで、そのときに女医は

お礼のブランデーを用意してくれていた。



「薔薇の騎士連隊にようやく紳士が登場したわね。我が家で酒を飲んで贈り物をくれたのはあなた一人よ。

ブルームハルト。あなたはいつでも我が家に来てくれて結構。大歓迎するわ。お料理は何がお好き

なのかしら。」



その笑顔もまぶしい気がする・・・・・・。





いま激動の時代にありヤン艦隊はローエングラム侯の首をはねる寸前までこぎつけておきながら

同盟政府はそれを認めなかった。

いや停戦せよと命じたのである。

その要求を飲まなければ帝国軍切っての才媛ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ秘書官が知謀を

めぐらしカイザー・ラインハルトに害をなせば首都ハイネセンを焦土と化すとミッターマイヤー、

ロイエンタールを動かして停戦を持ちかけた。



勿論その停戦はローエングラム侯には本意ではなかったにせよ賢明なるフロイライン・マリーンドルフは

ラインハルトをみすみす失うことこそ国益の損失に他ならないことを心得ていた。

その上事実ヤン・ウェンリーの戦略を喝破していたただ一人であった。



そんな事情があり軍人として恩給を賜るヤン元帥は停戦をのんだ。



ヤンはラインハルトを殺したくなかった。

ラインハルトはヤンに命を恵んでもらったとお互い釈然としないまま、政治は動く。

ローエングラム侯とヤンの会談が終わればヤンは退役した。






ヤン艦隊は解散した。

ピクニックは終わった。





そんな事態があったもののブルームハルトは贈り物を女医にことあるごとにおくってきた。

12月31日に間に合うように。







「よく無事に帰ってきたわね」

夏に女医を尋ねたとき、ブルームハルトはかすかな花の香りとともに彼女の家に迎えられた。



「おかえりなさい。ブルームハルト。中で珈琲でもいかが。」

青年はありがとうございますと薔薇の花束を手渡す。

「夏の薔薇は綺麗ね。あなたは本当にいいひとね。いくつになったのかしら。」


「25です。」

そう。玄関から招き入れられて青年は答える。リビングのソファに座る。

「いいお嬢さんを見つけないとね。私に贈り物をくれるのはうれしいけれどかわいいお嬢さんを

探しなさいね。お祝いするから。」

そういわれるとちょっとつらいなと青年は思う。赤い薔薇をガラスの花瓶に生けそれを見つめる

あなたが・・・・・・好きなんですから。



珈琲を運んできた女医はケーキなどのもてなしもした。

シェーンコップが言ってた。いつかまた宙へ還っていくのでしょう。

「ええ。そういうことになると思います。」

女医のいれた珈琲は美味しい。



「あなたも一人前ね。薔薇の騎士連隊副連隊長なんですってね。悪いひとが教えてくれたわ。」

悪いひと。自分の上官のことだなと青年は笑う。



「でも実際は格が小さいと思います。自分はシェーンコップ連隊長、リンツ連隊長に全く及ばない小者です。」

ブラウンの髪をした青年は恥じ入る。女医は30を越していても年齢がわからない。

「あの二人を真似なくていいの。あなたのよいところがなくなってしまうわ。あなたはあのふたりにない

やさしさや、人間らしさがある。それは誰も真似などできない特別なものよ。私はあなたのような青年は

とても好きだわ。よく食べよく動き。そして素直。・・・・・・そして花とプレゼントを忘れない。」

彼女は微笑んだ。

よい香りがする。





これが『rosa rossa』の香りなのか。



「ヤンは随分な環境に自分の身を置いたものね・・・・・・。といってもあのひとの場合仕方がない

かもしれない。人生が大きく狂ったと当人は言いたいでしょうね。心配だわ・・・・・・。」




彼女は古くからの知己のヤン・ウェンリーの身の上を案じていた。






「大丈夫です。先生、私がお守りします」

青年は笑っていった。女医はカップを置き、まじめな面持ちで言う。



「ブルームハルト。あなたも無事でいてね。死んでしまっては何にもならないのよ。

私はもう誰も失いたくはないわ。できればね。あなたとは長く友達でいたいわ。よい人間はいまどき

珍しいもの。無茶はしないで。」




大丈夫ですよ。





「ヤン提督が生きていないとこれから将来(さき)面白くないですからね」

帝国の子。そして帝国から逃れて自由惑星同盟に身を投じた男。そんな複雑な出自を感じさせない

一見朗らかな青年は、幾分大人びて・・・いや、頼もしい一人の男性になっている。

好青年とは彼のような人間のことを言うんだわ。女医は思った。



青年も年長の美しき元軍医殿を見た。

『 rosa rossa』





これは自分が送った香水の香りなのであろうか。

そういうことを聞くのは恥ずかしい気持ちがする。



花と香水。

これの一つ覚えでプレゼントを贈ってきたけれど彼女には迷惑ではなかっただろうか。

いつも丁寧な手紙と酒をおくってくれる。お礼に。義理堅い女医。



まだまだ恋の方向には向くことはなさそうだ。きっと自分はこの女医にすれば坊やなんだろうなと

まだまだ男として未熟だと青年はおいしい珈琲を味わいながら考えていた。




夏の日の昼下がり。

彼は女医の家を帰る間際に決心していった。




「先生」

「何」

「・・・・・・今度生きて帰ってきてあなたに会うことができたときに話があります。」

女医は不思議そうに首をかしげて玄関で彼を見上げる。

自分よりも背の高い青年。

たくましく、であったときから2年か3年がたっただけなのいつの間にやら少年めいた顔つきが

青年らしくりりしく見えた。






「話だったら今じゃだめなのかしら。」



青年は言った。



「ええ。今じゃまだだめなんです。多分。今度、今度会ったときにお話します。必ず。」





日差しで女医には彼の表情がよく見えなかった。夏のきらめく光。

玄関のポーチでは逆光になって青年の顔がよく見えない。






「わかったわ。今度会ったときにお話して。ブルームハルト。生きて帰ってね

・・・・・・風邪を引かないようにね。また会いましょう。必ずよ。またあなたの笑顔を

哀れな女医に見せて頂戴。あなたが立派になるのが楽しみなんだから。」


彼女の言葉に彼は敬礼をしてきびすを返して歩いていった。





今度もう一度彼女に出会えたなら自分は彼女にこの思いを伝えることができるであろうか。

彼女は自分をまだ幼いブルームハルトとしてみるだろうか。



それはそれでかまわない。

すべての課題が終わったら自分は一人の男としてミキ・マクレインに思いを告げよう。



正々堂々と彼女を「愛している」とはっきり言おう。



笑われてもいい。

鼻にかけられなくてもいい。

一人の男として彼女に告白しよう。





ヤン提督を護ること。それが今の自分ができる課題。

青年はかたくなにそう信じて空に還った。









「やだわ。私ったらプレゼント、いつもありがとうというのを忘れていたわ・・・・・・。」



彼の遠くなる背中を見送りながらミキ・マクレインはひとりごとをいった。

その背中は頼もしげで、りりしくて。

夏のまばゆい光のせいだけでなく彼女にはまぶしい背中だった。



いいひとね。ライナー・ブルームハルト・・・・・・。

弟のように思っていた青年。いつも彼女の誕生日を忘れないで香水をおくってくれる青年。



彼女に交際を求める男性は多いが彼女の心が揺れる人物とはめったに出会わない。



彼が帰ってきたら。

またあのまぶしい笑顔を見せてくれるだろうか。あの優しいまなざしで。あの優しい声で。

よい女性を探さなくてはと思いつつも、心に残る青年・・・・・・。



玄関のポーチで彼の姿が見えなくなるまで彼女はその背中を見つめていた。









女医が見た青年の姿はそれが最後であった。



僅か1年後に彼女は父親から友人のヤン・ウェンリーの訃報を聞いた。

大好きだったフィッシャーのおじさんの最後を聞いた。



そしてあの青年ライナー・ブルームハルトの遺品を受け取った。

父がイゼルローンを離れて彼女の家を訪ねて静かに娘に言った。




「シェーンコップ中将がブルームハルト中尉の遺品を片づけていたらお前宛の包みを見つけたらしくて。

・・・ブルームハルトは最後までヤン提督をお守りしたと伝えてくれと言われたよ。」



固く大事に梱包されていた箱。

包みを開けるとメッセージカードに



『親愛なるミキ先生へ』 とひと言。











そして、『 rosa rossa』

彼女はその小瓶を手にして

泣いた。




声を出して泣いた。




by りょう





このお話ではもともとはブルームハルトがミキともっと以前からの知り合いであると勝手に私が思い込んで

いて時間差ができました。一応この話ではこの2人はもしかしたら、という流れであったかもしれません。

ブルームハルトが生きていたら多分彼女は彼を選んだと思います。多分。まだ隠している「比翼連理」にも

通じます。私個人がブルームハルトが好きなんです。リンツより。(をい。



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